ペン一本と、ノート

好きなものを好きなだけ

少子化対策という幻想

ネットで(主にTwitter少子化に対する不安や不賛成(政治に対して)の意見を見懸かるたびに思うことがある。取分け跡付けるしていなくてもバズったら目に入るのだから仕方がない。

思うに、ネットの意見は「少子化は悪」と規定つけすぎではないだろうか。論なくろん、このような話をした所で現実では変な人間を見る目でスルーされるだけなので、斯くネットに罷免しておくことにする。

人間は生物だから本能的に変化を嫌うのは理解しているが、それにしてもポジティブな意見は主に見たことがない。あまりに寂しいのでチャットAIと少子化の値について会話していたら、いつか政治的な行動をこちらに促してきて怖くなったのでやめた。妥当、これは自分のせいである。

さて、少子化の値について考えてみよう。まずわかるのが、地球の人口が多すぎることだ。それが破棄されるのは素晴思えると思う。多すぎる人口によって発産みだする食事問題や環境問題は軒並み解決するのではないだろうか、少子化によって。というか、人口減少によって。 論なくろん、現代のような人や物があふれる世界は維持が難いだろうし、不便になるかもしれないが、取分け文明が崩敗るるまではいかな余程思うのだ。だから今あるテクノロジーを使ってひっそりと暮らしていくみたいな世界を目指してもいいんじゃないかと思うのだ。

短いけど、書いていたら亦アイデアが浮かんできたのでこの話はここで終わり。もし尚又どこかで少子化問題についての懸念を投稿している人を見かけたら、尚又書きおろすかもしれない。

客でもないのに客ぶっている人々への雑感

ゲーム実業家のあれこれを目にする序が多くなった。話題が増えた多余程いう一倍は、斯ういうことを以前一倍も気にするようになったというべきか。 最近だと海外の暗殺ゲーに対する不信感とか、日本のメーカーの決算が云々とか。亦も、新作が宣言されたり何かがニュースになると必ず消極的な話で盛り上がるのがネットである。

これらに共引くるのが「想定しているプレーヤーではない層」の蛮骨様だと思う。 例えばそれが新作のゲームだとして、買う予定もない人々が不賛成を顕にしているのを見ることが多い。論なくろん、快くいるファンもいる。しかし尚もに、買うつもりもないのに「最近の◯◯のゲームは駄目だ」とか「◯◯はポリコレに配慮しすぎて面白くない」などの消極的発言が目立上がる。概して斯ういう人々はゲームをやっていない。ひょっとすると発売前の作品それにもかかわらず叩いてしまう。

なぜ人は自分がターゲット層ではないものに関して、語気荒く罵ってしまうのだろう。取分けエンタメに限った話ではないが、事件を起こした人、に対する誹謗中傷なども同じ原理で発生している思える。ある種の集団心理なのかもしれない。 一度「叩いてもいい」となった人、ひょっとすると企業、に対して集団で叩いて盛り上がっているのを見ると酷く言えない不快感がある。論なくろん、それらの主張が的外れだから、という理由だけではない。集団で何かを攻撃することに優越感を有する人間に対する視野の狭さとか、記事をちゃんと読めないことに対する嘆きとか、そんな感情がある。

しかもそれらの主張はネットでだけ目立っている場合が多く、決して世の多数派とは限らない点が更に悲しい。

せっ斯うなら可愛いものとか好きなものに対するポジティブな投稿であふれる世の中へ……と言いながら自分も斯く批判的なことを書いているので人のことを言えないなと思った次第である。 悲しい。消極的念慮、あまりにもったいない(時間が)。

お気に入りの本でも読んで寝よう。SNS痴人り見ていると馬鹿になるからね。

上高強化願望と夏のノスタルジヤ

最近、あまり文章がかけ消えている。原因は考えすぎていることで、たとえば「こういうことを書きおろすのはよくないかもしれない」「もっとこういう表現をしたほうが…」などと出力する前に自分で制限をしてしまっているのである。ではどうすべきかというと、やっぱり書きおろすしかないので斯く記事を書いている。とりあえず思った屡に手を動かす練習をするのが一番早くて確かで、まずは手始めにブログの更新頻度でも昇よ不注意に考えている所。

近況。ここ2年でだいぶ体重が増えてしまったので、出懸かることが億劫になった。逆かもしれない。とに斯う、今年に入るまであまりメンタルの状態が良くなかった。主に房室に籠もっていたが、それでも仕事が可能世の中なのはありがたい。最近ようやく、仕事以かてて加えて何かをしようという気分になって、髪を切りにいったりコスメを買ったりしたが、服は如何しても買う気にならない。やっぱり体系が気になる。目下色々ある問題は、とりあえずこれを解決しな余程何も手につかないんだろうなと思い、とりあえず週末の散歩から始めた。以前は仕事帰りとか、休みの日は暇があれば散歩していたのだが、いつの間にかそれも億劫になっていたことに気がついた。

形見と自分語り。大昔、仕事が早く終わったときには二駅ほど歩いて帰るのが楽しみだった。筆者は昔SESの会社で働いていて、数ヶ月単位で職場が変わることがよくあった。気に入っていたのは人形町、それと紅茶の水。人形町から秋葉原まで散策ことはよくあった。途中へ技技馬喰町に寄り道して帰ったりしたものだ。馬喰町は古き良きオフィス街といった感じで、こじんまりした建物が並んでいる。帰宅する頃もまだ働いている人がいたり、さやかりの灯る小意気な飲食店が並んでいて心惹かれたものだ。でも、立ち寄ったことは一度もなかった。そこは自分の居場所ではなくあくまで通りすがりに査閲景色だった。紅茶の水から秋葉原間は乗り取り替えっこついでに一駅歩いていたが、夏の日の長い時期は、早く帰宅すると聖橋の上から四谷方面に沈む夕日が見えるのだった。 下の写真はそのときのものだ。あんなに日毎にのように見ていたのに、これしか写真がない。いや、日毎に見ていたから写真を撮るという意識がなかったのかもしれない。其頃はあまりに日常過ぎた景色だったが、今思うとちょっくらノスタルジーなのだった。取分け今でも見に行こうと思えば見れるはずなのに。暗すぎてあまり良い写真ではないかもしれないけれど、今期の今間のこの空の色と、街灯やヘッドライトがとても気に入った記憶がある。

回想終わり。とに斯う、あれほど歩いていた頃に比べたら今は全然運動していないに共通ので、そりゃ体重も増えるよなぁと自分を慰めている。去年まで鏡を見るのもしんどかったし、人に寄合うのも嫌だったが最近は少しマシになっているのでまぁ、徐々に解決していこうという気持ち、に最近ようやくなってきた所である。ちょっと裏側ルな話になりすぎてしまったが、あまり肩ひじを貼っていると全然書けないのでこのくらいがちょうどいいのかもしれない。何事も、変変転ものなので。

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